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馬場の魅力・再発見---古道
源頼朝ゆかりの鎌倉道〜〜馬場地区の古道
 2月の寒空の下、源頼朝ゆかりの史跡・馬場地区の鎌倉道を歩いてみました。
今回、訪ねた所は……
旧吉田邸内の鎌倉道〜西長院〜(八幡社)〜御両大明神〜真勝寺〜守公神社〜 馬場公園〜八坂神社〜六所神社〜日吉神社〜蓮花院
……でした。このうちの一部は、お隣の地区である中丸、国府新宿にあります。

奥州征伐によって藤原泰衡の脅威を取り除いた頼朝は、1190年(建久元年)10月3日、一千余騎の精兵をひきつれ鎌倉を発ち、11月7日に入洛します。
入洛の先陣は畠山重忠が務め、三騎ずつ並んだ随兵60組の後に、折烏帽子、紺青の水干袴に白のむかばきをはき、黒毛の名馬にまたがった頼朝が進みました。
後陣は千葉常胤がつとめ、先陣と同じく40組の騎馬武者が続いていたとのことです。
この2年後の、1192年に頼朝は征夷大将軍に任じられました。
入洛での行列とは異なるのでしょうが、この様相が目に浮かぶようです。

このkmlファイルをクリックすると、Google Earth上に道のりを描画します→
散歩の都合上、実際に今回歩いた道と、鎌倉道とは、ずれがあります。
(このkmlファイル(GPSデータ)を利用するには、 Google Earth ソフトウェア(無償)が必要です。)

 古海道

「楳沢誌(うめざわし)」(文政八年、一八二五)に、「官道以北に土人が裏道と呼んでいる間道があり、西は国府津村から東は大磯宿まで通じている。この間道は里老い
の口碑によると、往古幕府御上格の時の要路であった。」とある。

これは、かってこの裏道が公道(中世の京鎌倉往還)であったことを示していると考えられる。
国府地区を通る公道は、大略次のとおりである(下図)。

二宮境の新宿上町の小清水一夫氏宅前の道(中道という)から蓮花院参道を横断し、変電所の前あたりで東海道線を渡り、北東に行き堀込道を経て黒岩道へ合流し、六所神社前を通り粕屋街道へ出て北に行き、国府新宿2号線へ入り八坂神社前を経て新県道(中丸・新宿からの祇園塚道の一部であった)へ出てきたに行き、袖切坂を下って馬場へ出る(馬場からの祇園塚道)。そして、馬場公園の信号を右折し東に行き生沢道に合流し、神明社前から国府本郷2号線へでて真勝寺参道を横断し、八幡神社前を通り、町道幹21号線へ出て本郷地下道の手前から、現在、城山を切割って東海道線が通っているが、当時は、この線路の辺りを山越えして大磯宿へ通じていた。
『大磯町発行・「大磯町史民俗調査報告書三」 国府の民俗(三)−国府本郷・国府新宿・石神台地区−』より引用 
写真、地図をクリックすると、大きな(高分解能)写真を表示します。表示までに時間がかかる場合があります。


馬場地区の鎌倉往還(古海道)−上記説明による
@Aは、写真撮影位置(ページ最下段)



吉田茂邸

 
西長院

 
御両大明神

 
真勝寺・鐘楼


守公神社


馬場公園


八坂神社


六所神社

 
日吉神社

 
蓮花院


−−−− おまけ −−−−


諏訪神社
古道から外れた、大磯プリンス敷地内の飛地にあります。
時期によっては草ぼうぼう! でも、ここからの景色は最高です。
場所は簡単には見つかりません。六所神社に問い合わせます。

 
金龍寺(馬場地区のお隣の地区にあります)

 
現在はJR東海道線で寸断・行き止まり
(左:@馬場側、右:A金龍寺側の各撮影位置。鎌倉往還地図を参照。)



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